もう10年以上前にスタバの福袋に入っていたマグカップをずっと職場で使っていたが、昨年末に取手の部分が劣化して壊れてしまい、瞬間接着剤で固定して使用していたが、昨日完全に取手がとれてしまい修復不可能になってしまった。
結婚してから自宅でずっと使用していたケトルも真っ黒になってしまい、水が漏れるようになってきた。こちらは30年以上使ってきたMONO。
断捨離を続けている我が家だが、使えるものは愛着を持って長く使うことを心がけている。でも流石にもうこれ以上は使い続けられない。
これまでありがとう!そんな思いを込めて処分することにした。
『カタチあるものは壊れる。』
お気に入りのマグカップが割れたとき、あるいは長年愛用した時計が動かなくなったとき、胸の奥に小さな穴が開いたような喪失感を覚える。形あるものはいつか必ず壊れる。それは物理法則であり、この世界の絶対的なルール。
でも、なぜこれほどまでに「壊れること」が私たちの心を揺さぶるのだろう。 それは、その「カタチ」に、目に見えない「記憶」や「感情」を託しているからなのかもしれない。毎朝のコーヒーの香り、大切な人からもらった時の高揚感、共に過ごした時間の積み重ね。モノが壊れたとき、単に物質の破損を悲しんでいるのではなく、そこに宿っていた時間の断片が失われることを恐れているのかも。
一方で、壊れるからこそ、その存在は輝きを放つ。もしすべてが永遠に不変であれば、私たちは今この瞬間にある美しさや、手に馴染む感触に、これほどまでの愛着を持つことはないだろう。
「諸行無常」という言葉があるように、変化し続けることこそが世界の自然な姿。カタチあるものが壊れるのは、それが役目を終え、また新しい何かへと姿を変えるためのプロセス。
日本の伝統技法「金継ぎ」は、割れた陶磁器を漆で継ぎ、金で飾ることで修復する。それは単なる修理ではない。壊れたという事実を「傷」として隠すのではなく、むしろその歴史を美しい「景色」として受け入れる知恵
『カタチあるものは壊れる。』
だからこそ、いま手の中にあるものの重みを慈しみ、形を失った後も心の中に残り続ける「カタチのないもの」を大切に育てていきたい。壊れることは終わりではなく、新しい形での記憶の始まりなのだから。
長年、酷使してきた左膝。いずれは役目を終えることになるが、また新しい何かへと姿を変えるプロセスだと思って、明るく受け入れようと思う。

んでば、まだ👋 See You Hagain!