定刻の9時30分
C-Block Startのbirdさんに見送られていよいよStart。
おいやんさんはあっという間に見えなくなる。しばらく並走していたよねランさんに頑張りましょう!と声をかけて6分弱のPaceで走り始めた。
充電切れのGARMINのDataで振り返ってみると、このPaceで走れたのは結局15㎞まで。PaceをControl出来ていたのは60㎞の距離のうち、たった15㎞だけだった。
その後は、AIDで小休止しながら、水分補給とかぶり水で身体の火照りを抑えながら走っていた。
正直なところ、折り返しの30㎞までは、キロ5分50秒ぐらいで走れるはずと思っていたが、気温が上がってくるなか、5分50秒よりも速いPaceで走ったことでだいぶ体力を消耗してしまったのだろう。
それでも、バンビさんが応援してくれている地点までは頑張って走って元気な姿を見せよう!と思っていた。
折り返し地点の少し前で、バンビさんから応援をいただき、何とか30㎞を折り返し、ふたたびバンビさんの私設AIDに立ち寄る。ここでよねランさんとbirdさん3人で補給食をいただく。
3人で走り始めたが、やはり脚の具合が思わしくないため更にPaceを緩めることに。
よねランさん、birdさんの背中はドンドン小さくなっていく😢
そして35㎞付近の第10給水所で、
「取りあえず、休もう!」
日陰のSpaceには既に大の字に横たわっているRunnerが1名。自分もその僅かな日陰のSpaceを確保して横たわった。雲ひとつない空を眺めている内にごく自然に寝てしまった。
老衰で亡くなるときって、こんな感じなんだろうなぁ〜とあとになって思う。
20分程、昼寝をしたと思っていたが、GARMINのDataだと13時12分〜13時20分までのたった8分間だった。
自然に目が覚めて、立ち上がってみると、それまで歩くこともしんどかった脚が、トボトボなら走れる感じがした。Toiletの手洗い場で顔を洗って再Start。でも残りの距離25㎞が果てしなく長く感じた。ずっと歩いたら6時間以上もかかる。キロ10分でも4時間以上。時刻は13時20分。18時前にはGOALできるかも。4時間以上も脚が持ってくれるか心配だった。
残り25㎞、25㎞、25㎞
「早く家に帰りたい😢」
「BEERが飲みたい😢」
「帰りは千代田線直通のロマンスカーで帰ろう😢」
「もう絶対、柴又には来ない」
「スカイツリーが全然近づかない😢」
「目の前にRunnerがいない。みんなどこにいったんだろう😢」
アラカンおやじ、ホントに泣きながら走った。
でも大量の汗で、一粒の涙もでない。
その間、いろんな方に励まされながら、気が遠くなるような25㎞の旅が昼寝から目覚めて約4時間後の17時21分にようやく終わった!
みどるさんが、Blogでこんなことを書いていた。
Levelはまったく違うが、自分もRACEを捨てようとは一度も思わなかった。完走Medalは絶対に持ち帰る!
初のPetitウルトラマラソンはこんな結果になってしまったが、根性なしの自分が諦めないでGOALを目指し完走できた最高の1日だった。
柴又駅そばの居酒屋に向かう途中で、ご近所のおばちゃんが、首から下げたMedalをみて、「完走おめでとう!」と声を掛けてくれた。
皆さんには、「もう柴又は出ない!ウルトラは走らない!」って言ったが、そのおばちゃんのひと言で、「また挑戦しようかぁ」と密かに思ったことはここだけの話しということで。