年度末最後の大イベントの前日3月11日に父が亡くなった。津波から逃げるように裏山へ逃げ切ったあの日からちょうど12年目だった。仕事のためすぐに駆けつけることができず、相方と翌々日に盛岡へ。1日遅れで娘も駆けつけてくれた。
東北地方は骨葬といい、火葬を行ってから葬儀を行うことが多いため、葬儀の際に参列者が亡くなった故人の顔を見てお別れすることができないが、なんとか日程を調整してもらい荼毘に付す前に父の顔を見ることができた。90年間の人生をまっとうしたかのような優しい表情で目を瞑っていた。
葬儀は地元釜石でおこなった。高速道ができたとはいえ、盛岡からは1時間半以上かかる。釜石の実家あった場所はすでに学校が建ち、風景がまったく変わってしまった。そんな実家があった近くの海が見える場所に先祖代々のお墓がある。住職も世代が変わり、同年代のご子息が跡を継いでいた。父を埋葬したあと、お墓から離れないでいる母の姿が忘れられない。
震災で犠牲になられた方々の芳名が刻み込まれた芳名板がある釜石祈りのパーク。あの時の津波の高さを示したモニュメントをみて言葉をなくす娘。
故郷岩手から戻ったあと、父が残してくれたものなどの諸手続きや、年度末の忙しさからブログから離れてしまった。
気がつけば、5月も最終日。今週末にはいよいよ本格的なレースの復帰戦となる「仙台国際ハーフマラソン」
狭窄症の症状は出ていないものの、切開した部分の痛みがまだ少し残っているほか、左脚(膝裏)の痛みがもう半年以上続いている。10kmを6分以上のペースで走る分には痛みはそれほどでもないが、10kmを5分台のペースで走ると強い痛みを感じる。10km以上の長い距離を6分台のペースで走っても15kmほどで痛みが出てしまう。
先日の練習会では時間走で2時間走ったが、心拍は全然大丈夫だが、脚に痛みが出てしまいロキソニンを飲んでなんとか20kmを走った。あと4,5日で状況が変わるとは思えないので、仙台ハーフはロキソニン持参でキロ6分で走るつもり。タイムよりもまた走れることの喜びにひたりながらゴールを目指そうと思う。
最後に3ヶ月の走行距離でも(ウォーキング含む)
3月 55.00km
4月 169.3km
5月 206.0km
んでば、まだ👋