今回、西日本で発生してた記録的な豪雨により、亡くなられた方々へのご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。

 

〜2011年3月26日の日記より〜

東北新幹線の他、東北本線も不通となっているため、飛行機、高速バスのみが現地に行くことができる交通手段となっている。高速バスのチケットも大勢の人がインターネット予約や電話予約に殺到しているため、なかなか予約を取ることができない状況。そんな中、2日前になんとか(実家があった釜石から兄の住む盛岡に避難している)盛岡から戻ってくることができた。

盛岡は津波による被害はなかったものの、ガソリン不足の他、スーパーなどでは食料品、日用品などが不足しており、まだまだ不便な生活を強いられている。

比較的被害が少なかった岩手県の内陸地区の市町村では、避難住民の受け入れのための防災対策本部を設けおり、免許証や健康保険証などの身分を証明するものがなくても、転入届けなどの手続きをしてくれたり、年金等を受け取るための手続き等、親身になって相談にのってくれた。

全てを失ってしまった両親も命が助かったことに感謝する毎日で、くよくよしたり、悲しんだりすることなく前に進もうとしている。残り少ない人生だけど、住み慣れた土地を離れて、またいちから頑張ると言っている。とりあえずは兄と一緒に暮らすことになるが、また二人だけで暮らしたいよう。元気なうちはその方がいいかもしれない。それにしても「強い人達だなぁ」とあらためて思った。些細なことでくよくよしている自分が情けない。
 
 
実家があった周辺

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【釜石の歴史】
釜石は100年のうちに3度も津波による被害を受けている。

1896年 三陸地震津波 
亡くなられた方4,000人以上 

1933年 三陸地震津波 
亡くなられた方1,408人 行方不明1,263人

1960年 チリ地震津波  
亡くなられた方  55人 行方不明 6人

2011年 東日本大震災  ……。

さらに1945年、太平洋戦争末期の7月、8月の2度にわたりアメリカ海軍の戦艦部隊による艦砲射撃を受けおり、攻撃目標は日本製鉄釜石製鉄所。この攻撃によって800人以上が亡くなっている。

いくつもの試練をの乗り越えてきた故郷釜石。絶対立ち直るはず。1日も早い復興を祈っている。
 
 
〜そして、あれから7年あまり〜
 
いま実家があった場所には、ラグビーワールドカップの会場となる「釜石鵜住居復興スタジアム」が完成し、来月オープニングイベントが開催される。
 
7年という年月が流れたが、1歩づつ復興を信じて歩んできた故郷釜石。新しい未来を信じて、希望を持ち続ければ、必ず復興できると思う。
 
思いもしない災害に見舞われ、さぞご心痛のことと思います。心よりお見舞い申し上げます。
いまはひとりでも多くの人手が欲しい状況だと思います。そんな時に助けること出来ず申し訳ございません。避難のお疲れもピークに達していることと思います。東日本の大震災の際には両親が多くの方に助けていただきました。何かお役に立てることがありましたら遠慮なくおっしゃってください。1日も早く平穏な日常に戻れるよう願っております。